【エッセイ】父は今日もピカチュウを捕まえる。

Pikachu

私の父は、ひとつのことを続けるのがどうも得意らしい。

1年前、家族がほぼ同時期に始めたポケモンGO。ポケモン世代でもないのに、ブームが去った今もなお、父はコツコツとポケモンを捕り続けている。ジムで戦いもしないし、もう家族は皆挫折したというのに、この前ひっそりとレベル33に達した

この間も散歩中、サトシの帽子をかぶったピカチュウを捕まえた父が、口元に手を当てながらニンマリとしていた。

父が続けているのは、ポケモンGOだけではない。

3年以上前に始めた「食事と体重の記録」は、1日も欠けることなく、おかず1品抜けることなく、詳細に書き続けられている

体重に至っては、朝の体重と夜の体重の両方を測定し、Excelのグラフにしている。

(ただし描かれた体重グラフは、風ひとつ吹かない海辺のように、穏やかで緩やかな横ばいだ。)

一方、娘の私はびっくりするほど物事が続かない。

「思い立ったら吉日」と、ワクワクしたことを形にするのは好きなのだが、典型的な3日坊主だ。思い立って書き始めたこのコラムだって、今この瞬間はとても楽しいけれども、正直いつまで続けるか分からない。

そんな私にとっては、父の「続ける能力」は何より羨ましく、また自分にはもたらされなかった才能なのだと日々感じていた。

ある日、私は相変わらず自分で決めた目標が続かないことに悩んでいた。新しいことを始めること自体は、ワクワクするし得意。なので、「英語を1日1時間勉強する!」とか自分に嬉々として目標を課すのだが、数日経った頃から雲行きが怪しくなる。

時には「続けるためのコツ」に関する本を読んでみたりして、色々実践してみるのだが、実際の生活の中ではどうしてもやっている途中で壁にぶち当たるのだ。

仕事が急激に忙しくなったり、想定外のことが起きて疲れてしまったりした時に、私はどうしても「今日はやらなくても良いか……」という甘えを発動してしまう。

頑張っても上手く続かないことに行き詰まりを感じた私は、「続ける先輩」である父の行動をこっそり観察してみることにした。

意識しているのか無意識なのか分からないが、私が見ているだけでも父は自分にいくつかのルールを課している。

  • 朝5時に起きること。
  • 朝ごはんを食べながら新聞を読むこと。
  • 朝6時8分に家を出ること。
  • 朝6時23分の電車に乗って会社に行くこと。
  • 家に帰ってきた後、その日あったことに加え、食べ物や体重を細かく記録すること。
  • 夜10時頃には歯磨きをして、寝ること。

きっと仕事をしている時にも、色々な自分ルールを実践しているのだろうなと思う。私はしばらく両親と離れて暮らしていて、去年から東京の自宅に戻ってきたのだが、仕事人としての父の姿を垣間見ることができたのは新鮮だった。

何より感じたのは、そういった習慣が父に「染み付いている」こと。夜歯磨きをせずに寝ることが難しいように、今の父は恐らく平日寝坊をすることの方が難しいだろう。

完全に習慣化された行動には、「頑張ろう」とする意気込みを感じない。

そして実際、父のルールは小さく、無理がない。1つのことを染み付くまで続けているだけだ。

今でこそ父は沢山のルールを持っているだろうが、父は新しく何かを始める時でも1つのことから始める。無理がないルールだから、「続けようと頑張っている」素振りはほとんど見られない。

さらに振り返ってみると、父がこんな行動もルーティーン化していることに気が付いた。

  • 行き帰りの電車の中でポケモンGOをすること。
  • 飲み会がある日以外は、早く帰ってきて家で晩ごはんを食べること。
  • 晩ごはんを食べた後、母にいたずらを仕掛けること。(二の腕をつまんだり、お腹の肉をつまんだりして、母に「やめい!」と叫ばれるのを楽しんでいる。)
  • 自分が寝る前に母にいたずらを仕掛けること。(大抵の場合、母がのんびりテレビを見ている時に、こっそりとテレビのリモコンをどこかに隠している。母が「でーい!リモコンどこやー!」と騒ぐのを楽しんでいる。)
  • 土日は7時か8時頃に起きて、母と一緒に散歩をすること。
  • 釣り番組を欠かさず予約して、土日に見ること。

娘の私が知る限り、父が続けていることの中で最も長く続いているのはこの3つだ。

  1. 仕事(1つの企業に勤めはじめて35年近く経過している)
  2. 釣り(うちのトイレの壁には魚図鑑のポスターが貼られている)
  3. 母(25歳で結婚して以来、母にいたずらを仕掛けることはライフワーク化している)

釣りと母に関しては、もはや父の最大の趣味だと言える。やはり自分が好きなこと、楽しいことであればあるほど、無理なく続けることができるのだろう。

ここまで考えてみて、父の続け方に納得した上で、私にはそれでも1つだけ疑問が残った。

なぜ父は去年ポケモンGOを新たな習慣として始めたのだろうか?

先ほど言ったとおり、父はポケモン世代ではない。恐らくポケモンGOを始めるまではコダックもコイキングも知らなかっただろう。「懐かしい」という気持ちで始めた可能性は皆無に等しい。

今でこそ散歩のお供としてポケモンGOが良い暇つぶしになっているのもあるだろうが、そもそもなぜ始めたのだろう。

思えば父は、私が学生の時に始めた「なめこをひたすら採り続けるゲーム」も、兄が何気なく始めた街づくり系のゲームも、いつの間にか一緒になって始めていた。私や兄がとっくに飽きて他のゲームに目移りした後でも数ヶ月以上・ものによっては数年以上に渡って、いそいそと続けていた。

私が好きなWebマンガを教えればいつの間にか全話チェックしているし、書籍化されれば私に「パステル家族の4巻買った?」と聞いてくる。

昨年末に私が両親にFitbitをプレゼントしてからは、父は毎日欠かさず歩数や睡眠記録をチェックして、いつも歩数で母に勝てないことを悔しがっている。

父が新たなものを始めるきっかけは何だろう。

父が元々自分では興味を持たなそうなゲームを始める理由は何だろう。

ここまで考えてみて、私はやっと自分の馬鹿さ加減に気が付いた。

父は、私と兄が好きなものや、今ハマっていることに手を伸ばすことで、子どもたちと楽しく話ができるよう頑張り続けてくれていたのだ。

私たちよりもハマる期間が長いのは、単純に父の性格的な部分があるかもしれないし、続けることで私たちと「えー、父さんまだそのゲーム続けてるのー」という会話を楽しむためかもしれない。

父にとっては元々興味がないことでも、私たちの目線に立てるように、少しでも楽しく話ができるように。こんな小さな努力も、父が(もしかしたら無意識に)続けていたことのひとつなのかもしれない。

そもそも、仕事を頑張り続けてくれているのも家族のため。

おしゃべりな癖に照れ屋な父は、私と兄に「大事だよ」と言葉で伝える代わりに、子どもたちと同じものに手を伸ばすことで、30年近くも向き合うことを続けてくれていたのだ。

残念ながら私も、おしゃべりな癖に照れ屋なところは、思い切り父に似てしまった。

恥ずかしいのでこの文章を父に見せることはきっとないだろうし、このことで面と向かって「いつも向き合ってくれてありがとう」なんて伝えることもないだろう。

その代わり、父がポケモンGOをいそいそと続ける姿には、ほっこりとした温かい感情が生まれるようになった。

父は今日もきっとピカチュウを捕まえる。

今晩家に帰ったら、レベル33になった父のポケモン図鑑を一緒に眺めてみようかな。

そして、何かひとつ、小さなことから、好きなことから続けてみようかな。

日々の学びや気付きをつぶやいています