「何食べたい?」に「何でも良いよ」と答えるのは優しさではない

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「何食べたい?」と聞かれた時、何と答えますか?

私は聞かれる度に「何でも良いよ」と答えていました。「自分は割と何でも食べられるし、相手の好みに合わせたい」という心からの好意のつもりで。

ただ、最近この「何でも良いよ」という言葉、優しさでも何でもないことに気付かされたのです。

「何でも良いよ」と言われたときのプチ困惑

普段あまり絡みが多くない友人とのランチ。「何食べたい?」と私が聞くと、「何でも良いよ」という答えが返ってきました。

私は相手の食べ物の好みを知らず、かつ自分自身もお店に詳しい方ではないので「どうしよう、何にすれば喜んでもらえるかな」と困惑。結局自分なりに美味しかったところをいくつか思い出して、相手に選んでもらいました。

「何でも良いよ」と何度も言われたときのプチストレス

そして身近な人が「何でも良いよ」と言ってきた時、私の困惑はモヤモヤに変わりました。

1回・2回はそこまで何とも思いませんでした。ただ、この言葉を何度も何度も言われるうちに、私は「なんで私ばっかりが決めなきゃいけないの」というモヤモヤを感じるようになったのです。

「何でも良いよ」と言い合ったときの無駄な時間

とはいえ私自身も、「何でも良いよ」と言ってしまうことがあります。「何でも良いよ」が癖な人に対してこれを言うと、更に相手も「自分も本当に何でも良い」と返ってきてしまいます。

「何でも良いよ」という言葉、言ってる側には悪気はないけど、言われてみるとたしかに困る。

2人ともが「何でも良いよ」スタンスの場合に繰り広げられる、この終わりのない「どうぞどうぞ合戦」。時間がかかる割に良いアイデアにまとまるわけでもなく、さすがにどうにかしなければと思うようになりました。

「何でも良いよ」は優しさに見せかけた怠惰

「何でも良いよ」と言いまくって分かったこと、そして「何でも良いよ」と言われまくって分かったこと。

それは、「何でも良いよ」というのが自分にとって一番ラクだということです。

言い換えると、相手に決断を丸投げし、自分は考えずに済むということです。

人を巻き込む決断って、たとえ小さなことであったとしても配慮と労力が必要ですよね。レストランを決めるなら相手が嫌いなものは避けようとしたり。「美味しい」と言ってもらえそうなところを考えてみたり。

最初から「何でも良いよ」と言うことで、私はそういった労力を相手に押し付けてしまっていることに気付きました。

相手が考える負担を減らす

相手が「これが良い!」という強い意見を持っている人なら、そんなに心配することはないかもしれません。ただ「何が良い?」「何食べたい?」と聞いている時、多くの人は、無数のオプション・アイデアから当たりをつけるヒントを求めています

食べ物なら、自分が食べたいものがある場合、素直にいくつかオプションを出してみる。自分がお店に詳しくない場合、相手の好きなお店がないか聞いてみる。

どんな会話にしても、相手がたとえグルメな人であっても、相手に考え事を丸投げせずに、一緒に考えようとするスタンスが大事なのかなと思いました

私の場合、身内との「どうぞどうぞ合戦」が問題だったので、「何でも良いよ」の代わりに「まず何か提案する」というルールを作りました。お互い基本的に何でも良いし好き嫌いも少ないことは分かっているので、何か具体的なアイデアが目の前に1つか2つあるだけで、決断が大分楽になることを学びました。

これからは、「何でも良いよ」と答えたくなる前に一呼吸。何か相手の負担を減らせないか考えてみようと思います。

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